病院に行かなくなった私は、毎日をいかに平穏に過ごすか、ということのみを考えて生活します。

病気が酷くなる前から元々出不精な性格ではありましたが、それでも休日楽しんでいた愛犬とのドライブ、趣味を通じた交友等、そんなことを楽しむ心の余裕は無くしてしまいました。
いかに強迫観念にとらわれることなく平穏に平和な時間を過ごすか。人との接触が怖い私は、休日は外に出なくなりました。人が怖いとはいっても、家族のことは平気でした。しかし、下手に動くとまた手を洗わないといけない、洗濯しないといけない、そんな恐れから、ひどいときは1日ソファーの同じ場所から動かず過ごしました。
動くことができなかった、というのもあるかもしれません。

仕事を続けていた私は、平日は通常の業務をこなし、恐怖に耐えながら人と接し、家族が寝るのを待って帰宅し、強迫行為に没頭する。1日平均3時間も寝ていなかったと思います。
汚れた体で食べ物を食べる気にもならず、食事は朝のコーヒーとバナナ1本のみ、職場でお昼ご飯を食べることもできなくなっていました。夜も家族が寝るのを待って帰宅し、ひたすら強迫行為に没頭しないといけません。
そして何より精神的な疲労感が激しかったのです。職場では絶えず多方面へ神経を張り巡らし、いわばずっと戦闘状態だったのです。

休日は1日ソファーで寝ていました。
家族からはとんでもなくだらしのない行為に見えたと思います。

これは「回避」といわれる行動です。強迫症状を引き起こす状態から逃げる行為です。
この他にも「巻き込み」といわれる行動もあります。強迫症状を引き起こす状態を避けるための行動を家族や友人にも強要するものです。例えば、外は汚いからと玄関での着替えを強要する、等といったもので、幸い私にはこちらの症状はありませんでした。

こんな生活をしばらく続けるうち、少しずつ普通に近い生活を送ることができるようになります。ただ、これは病気が改善したのではなく、日々の学習で、自分なりの上手な「回避」を身につけていったからです。

いかに強迫症状を起こす状態から逃げるか、どうすれば少しでも強迫観念が和らぎ、いかに強迫行動の負担を減らすか。全ての行動の基準はこれです。
少々変人と思われてもかまわない、自分を守るのが第一です。
道路を歩くときは、イヤなものを踏まないよう細心の注意を払って歩き、同時に人と近づくことのないよう気を配る。背後から足音がすると、立ち止まり鞄の中のものを探すふりをして追い越させます。
一度着たものは洗濯するため、洗濯機で洗える服しか着ません。冬でも上着を着ずに出勤します。
「変わってるね」と言われても、適当な言葉で茶化して誤魔化します。

酷い時期に比べたら随分楽になったものの、もう以前の生活を送ることはできません。
ただ、一生病気と共に生きると決めた自分からすると、これがの精一杯の自分のライフスタイルなのだと思っていました。

病気になる以前に比べ、失ったもの、諦めたこと、自由がきかなくなったことは多いです。
しかし、それを嘆いていても、何も得るものはありません。

前述もしましたが、恐らく病気は改善してはいません。ただ自分なりの回避方法を身につけ、強迫症状を引き起こす状態を遠ざけているだけです。
それでも、制約は多いものの、酷い時期に比べ随分楽に生活を送ることができるようになったことは、私にとっては大きな前進です。

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