最近、平安京の葬送地「鳥辺野」に関する記事を書いています。
鳥辺野に想う
少女噛み合って死んだ犬の話「今昔物語(巻二十六第二十話)」
鳥辺野は、阿弥陀(あみだ)ヶ峰(鳥辺山(とりべやま))を中心にして西方に広がる山麓一帯を言う。北辺は清水寺南、西大谷を含む辺りから、南辺の今熊野観音寺北、一条天皇皇后定子陵のある鳥戸野陵に至る地域を総称している。
(京都観光オフィシャルサイト「京都観光Navi」より引用)
かつて都人たちは、人が亡くなると、亡骸を棺に納め、鴨川を渡り、鳥辺野へ至る道筋にある六道珍皇寺で「野辺の送り」の法要を行い、死者と最後のお別れをしました。
その後、死者は隠坊により風葬の地である鳥辺山へと運ばれていきます。そのため、この周辺は「六道の辻」と呼ばれ、彼岸と此岸の境目、冥界への入り口とされていました。
ちなみに、隠坊とは、日本史上で、火葬場において死者を荼毘に付し、墓地を守るお仕事をされていた方です。火葬しない場合でも、隠坊により鳥辺山まで運ばれ、埋葬、あるいは放置されたのでしょう。
また、鴨川を三途の川に見立てていた、ともいわれています。
生者の地と死者の地、それを隔てる境界線、同じ地にありながら、お互いに干渉することのない世界。
最近は、この境界線がとても曖昧になっている気がします。
江戸末期に開国し、異国文化が流れ込むまでは、日本人にとって山は異界でした。
恵みも災難ももたらす神であり、人とは違う者たちが暮らす異界。
そこに入るとき、人々は「おじゃまします」という気持ちで入り、出るときは「ありがとう」と感謝の言葉を述べます。
「送り狼」は、最近ではあまり良い意味で使われませんが、もともとは全く違った存在です。「送り犬」という地域もあります。
夜中に山道を歩くと、「送り狼」がぴたりと後をつけてきます。そこで転んでしまうとたちま喰い殺されてしまうのですが、「どっこいしょ」「ああしんど」などと言って、転んだのではなく、ただ座っただけ、休憩しただけと見せかければ、襲われることはないといいます。
そして、無事山を抜けることができたら、「さようなら」「お見送りありがとう」と一声かけると、それ以上、狼、或いは犬は追ってこないのだといいます。
これは、ニホンオオカミには自分の縄張りに入り込んだ者を監視する習性があり、その様子を山の怪異として語ったものだと考えられています。
ニホンオオカミも、通り過ぎる者が害を成すものではないとわかると、むやみやたらに襲わない。しかし、慌てふためいたり転んだりという通常ではない行動をとった場合、害を成す者と判断して襲いかかる。
だから、人々は何事もないように山を抜け、最後に「ありがとう」という。
実際、ニホンオオカミという最強のボディーガードがついていて、他の怪異から守ってくれているわけですからね。
明治以降、山は人々にとって信仰の場ではなく、レジャー場へと変わりました。
山を「信仰の対象」ではなく、「征服の対象」とみるようになってしまった、という人もいます。
その過程で、人間は、山を削り、崩し、いたるところまで入り込み、「山に棲む者たち」から生活の場を奪っていきました。
かつては、六道の辻を境に、はっきりと分けられていた生者と死者の世界、今はその結界がぼやけ、曖昧となり、互いに交錯しあう世の中。
最近、住宅街にクマやシカ、イノシシなどの野生動物が出現するというニュースを見ます。
彼らも暮らす場所を追われ、さらに気候変動により、山に食べ物がなくなっているため、危険を冒してまで人里まで下りてきているのでしょうね。
山があり、里山があり、人里があり、動物と人間との住み分けができていたかつての日本、今はその境界が曖昧となり、様々な不幸がおこっています。
もちろん住宅街で暮らす人間の安全も大切ですが、この世界には、他の生物もたくさんいて、共に地球にとって欠かせない存在です。
昔のように、お互いが干渉しあうことなく、境界線を隔てて、同じ土地で自由に暮らすことができる世の中になってほしいと心から願っています。