強迫性障害による症状は様々です。
強迫性障害に悩まされる方の数だけ症状があるとも言えると思います。
ここでは、あくまで私の場合について語ります。
私は幼い頃から動物が大好きです。
我が家は絶えず動物と一緒に暮らしています。
今は、カナリア、シマリス2匹、犬(シェルティ)2匹と一緒に暮らしています。
「潔癖症なのに動物は平気なの?」
とよく聞かれます。
他の記事でも述べたように、性格としての「綺麗好き」と、病気からくる洗浄行為は、全く別のものです。
私の場合、汚れの対象は人由来のものです。動物は平気なのです。症状が酷いときも動物は平気でした。動物のお世話をすることは楽しいことで、全く精神的な苦痛は伴いません。
ただ一つ困ることがありました。それは、愛犬の散歩です。
犬は「お出かけ」が大好きです。家に閉じ込めておくことはできません。運動も必要です。
犬は、道路を裸足で歩き、いろいろなものの臭いを嗅ぎ(もちろん電柱や怪しげな場所には近付けませんが)、その体で室内に入ります(もちろん散歩の後は足や体を拭きます)。
極度の強迫観念により外出ができなくなっていた私には、これは大きな問題でした。
頑張って散歩に出かけ、帰ってすぐ洗濯、お風呂に入ることもあれば、「体調不良」を理由に家族に散歩を変わってもらうこともありました。
今は、極力人の少ない時間を選び、道路を必要以上に確認しながら愛犬と散歩しています。
愛犬からしたら、とろとろと歩き、好きな方向へ行くこともできないつまらない散歩かもしれませんね、、、
ただ私は平日働いているため、普段は家族が愛犬の散歩をします。これは大きな救いです。
愛犬は休日のみ私とのつまらない散歩をするのです。
もちろん、愛犬に申し訳ないという気持ちは大きいです。
なので、時々休日「この日は出かける」とあらかじめ決めておき、愛犬をドライブにつれて行きます。主に人の少ない地元の史跡や自然豊かな場所を選びます。
私の病気は動物たちには一切関係ありません。動物たちは、自ら進んで私を「飼い主」と決め、我が家へやって来たのではないのです。
一度きりの生涯を楽しく精一杯に生きたいのは、人間だけではありません。動物も一緒です。
私は私の病気を理由に、彼らが本来できる範囲の楽しく豊かな生活を制限することはできません。
私は強迫性障害という病気と闘うことをやめ、上手につきあっていくことを決めました。
私には、彼らの幸せを第一に考え、彼らのために行動する義務があります。
「生き物を飼養するということは、自分の命を削って与えることである」
という、有名な獣医さんの言葉があります。
私はこの言葉が大好きです。
私はこの言葉を胸に、日々動物たちと接するようにしています。
動物は、私にとってなくてはらならい、生涯のパートナーです。
我が家で一緒に暮らす動物たちはもちろんのこと、庭で遊ぶ雀、勝手に庭に入ってきてはくつろぐ猫、山から下りてきて大きな声で鳴きながら庭の植物を食べる山鳥、みんな愛おしい存在なのです。
動物は私の心を癒やしてくれます。生活に楽しみと喜びを与えてくれます。
私も自分の命を削る覚悟で動物たちに接していきたいと思い、日々の生活を送っています。
あ、いや、ガチガチの覚悟ではなく、お互い楽しく生活したいね、というスタンスで。