まずは聞いてください。
鳥の歌 The song of birds/El Cant dels Ocells
「鳥の歌」は、カタルーニャ(現在のスペイン東北部・地中海に面したカタルーニャ州)の民謡で、原曲の作曲者や正確な成立年代は不明ですが、カタルーニャでは伝統あるクリスマス・キャロルとして歌われていたようです。
キリストの生誕を祝うこのクリスマスキャロルを仏像の前で歌うというおもしろさは置いておいて、、、
「鳥の歌」は、カタルーニャ地方ではるか昔から歌い継がれており、元の曲や歌詞がどのようなものだったのかはわかっていません。
日本の民謡やわらべ歌と同じで、楽譜などがあるわけでなく、人々の記憶の中で歌い継がれてきたため、地方によりその歌は様々なようです。
ただ、1705年には、メロディーは失伝しているものの、歌詞の資料が残っており、それによると、「冬の夜に春の鳥が訪れ、皆で歌い楽しみ、聖なるものと自然、そして人を一体のものとし友愛の精神を讃える」という内容で、キリストの生誕を祝って鳥が訪れ、家族、自然、国、平和を歌うとうテーマが一貫して受け継がれていりようです。
今お聞きいただいた「鳥の歌」は、19世紀の最後にヴァントゥーラによる近代コブラ版となり、20世紀にカザルスが再編曲したものです。
そして、この「鳥の歌」は、カタルーニャの、そして世界の平和のシンボルとして歌われています。
歌もとても美しく素晴らしいのですが、その歌声にも魅了されます。
ご紹介した動画で歌っているのは、ナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)というウクライナ出身の歌手で、現在日本を拠点に音楽活動をされています。
私がナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)を知ったのは、なにげに見ていた「You Tube」で、「千と千尋の神隠し」の主題歌である「いつも何度でも」を歌っている動画を見たのが最初です。
この「いつも何度でも」は、公式にアップされた動画ではなさそうなので、ここで紹介することは控えますが、そのとても美しい歌声に、私はすっかり魅了されてしまいました。
ちなみに、ナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)の歌う「いつも何度でも」は、「ふるさと ~伝えたい想い~ (CD付)」に掲載されており、これは一般の書店やCDショップには流通しておらず、制作会社である「オフィスジルカ」か、彼女のコンサート会場、そしてAmazonでのみ購入することができます。
ただし、「オフィスジルカ」から購入する場合、郵便局で振り込みをする必要があるため、Amazonで購入する方が楽です。
「オフィスジルカ」から購入する場合はこちらを参照してください。
・ナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)公式ホームページ
Amazonから購入する場合、こちらを参照してください。
ナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)について
何故、ナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)が歌う「いつも何度でも」は、こうも心に響くのでしょうか。
それは、彼女の美しい容姿、そして美しい歌声の他にも、彼女の歩む人生が影響しているようです。
ナターシャは、1980年2月4日、ウクライナのドニプロペトロウシク州(当時はソビエト連邦 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国・ドニプロペトロウシク州)に生まれ、その後プリピャチに移り住みました。
そして、ナターシャが6歳のとき、1986年4月26日未明、父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が 発生します。それは、ナターシャが住むプリピャチから、わずか3.5kmの場所での事故でした。
しかし、住民たちはその事故の重大性を知らされることなく、次の日も普通に生活していたといいます。
住民たちが事故のことを知らされたのは、その次の日、事故から2日も経過したときだったといいます。
「たいしたことは起きていません。ただ、念のために避難してください。3日後に必ず帰ってきますので、荷物を持たずに避難してください」
住民たちはこの言葉に従い、何も持たずにプリピャチを後にしますが、その後、彼らがその場所に戻ることはありませんでした。
そして、彼らの故郷の美しい森も、思い出がたくさん詰まった家も、放射能のせいで壊され、土に埋められることとなりました。
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
その後、ナターシャは避難生活で各地を転々とし、やがてキエフ市に移住し、そこでウクライナの民族楽器バンドゥーラ(ウクライナ語: Бандура)の音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学びます。
そして、1996年・98年救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行い、2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始します。
バンドゥーラの美しい音色と、ナターシャの水晶のような透明感のある歌声は日本の人たちを魅了し、やがて彼女の活動は評価され、2005年7月には、ウクライナ大統領訪日の際、首相官邸での夕食会に招待され演奏を披露し、2016年7月には外務大臣表彰を受けました。
ちなみに、ナターシャが奏でるバンドゥーラ(ウクライナ語: Бандура)は、ウクライナの民族楽器で、15世紀に成立したとされています。50から60までの弦が半音階で5オクターブに渡って調律されており、演奏はコサックの時代以降に盛んになりました。
ナターシャによると、バンドゥーラはかつて目の不自由な方が職業に使っており、日本の琵琶と共通性があるとのことです。
ナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)の歌で、もう一つ、「防人の詩」をご紹介します。
「防人の詩」は、さだまさし作詞・作曲で、映画「二百三高知」の主題歌です。
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください
これは、「万葉集」第16巻第3852番に収録されている詩を基に、さだまさし氏が作詞・作曲したものです。
鯨魚取(いさなと)り海や死にする山や死にする
死ぬれこそ海は潮干(しおひ)て山は枯れすれ
現代語訳
ああ、海だって死に至ることがあるのか
山だって死に至ることがあるのか
そんなはずはないのだが
やはり死ぬからこそ
海は海で潮が干れるし
山は山で草木が枯れたりするのか
「防人(さきもり)」は、646(大化2)年の大化の改新において、即位した孝徳天皇が施政方針となる改新の詔で示した制度のひとつで、九州沿岸の防衛のため設置されました。
当初は遠江国(とおとうみのくに:現在の静岡県西部)以東の東国から徴兵され、任期は3年とされていましたが、実際は延長される事がよくあったとのことです。
防人は大変厳しい任務で、その任務期間中は食糧も武器も各自で調達しなければならず、さらに税の免除も行われなかったため、兵士の士気は低かったと考えられています。
また、徴集された防人は、九州までは係の者が同行して連れて行かれるものの、任務が終わって帰郷する際は付き添いも無く、途中で野垂れ死にする者も少なくなかったとされています。
その極限の状況で作られた歌が「防人歌」で、「万葉集」に多く収録されています。
海や山さえそうなのだから、まして人間の無常はやむを得ない
そういう防人の悲しい心が、バンドゥーラの奏でる透明な音色と、ナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)の美しい歌声に乗って、現代を生きる私たちの心の奥に直接響いてくるようで、悲しいけれども何回も聞きたくなる、そんな曲です。
thanks, very interesting 🙂