最初は、本当に呪いかと思いました。
お風呂で髪や体を洗っても洗っても、汚れが落ちた気がしない。
この汚れは、実際に汚れているのではなく、観念的な汚れです。穢れのように感じる場合もあります。
そして、不安を拭うかのように洗い続ける、そのうち頭がぼ~、としてきて、さっき自分が髪や体を洗ったかどうかわからなくなる。本当にわからなくなるんです。そして、また洗う。これを延々と繰り返します。

手を洗うときもそうです。もうやめたいのに、まだまだ汚れている気がして、穢れが付着している気がして、やめられない。やっと手を洗い終わったとしても、そこでまた何かイヤなものに触れた気がして、結局また手を洗い始める。

私にこのような症状が強く出始めたのは、10年くらい前のことです。
当時私は窓口的な業務にあたっており、日々いろいろな方と接していました。人と接する仕事は、日々変化があり、好きでした。
しかし、そのうち人と接することが怖くなっていきました。
人と話していると唾液が飛んでくるような、そんなイメージが浮かび、拭えない、受け取る書類等も、何かが付着しているような気がして気になり始める。
そうです、とっても失礼な話ですよね。わかっています。
そのうち、廊下で人とすれ違うことすら怖くなっていきました。

ただ、仕事を辞めるわけにはいきません。生きていくためには、お金が必要です。
私はこれらの症状を必死で隠し、日々の業務をこなしていました。
同僚に「何回手を洗うの?」って言われても、「まあ、性格だからね~」なんて笑いながら軽く返していました。

家に帰るのも一苦労です。
家に帰ると、玄関でその日着ていたものを全て脱ぎ、洗濯し、お風呂に入る。お風呂で全ての汚れ・穢れを落としてから、家の中で自由に過ごす。これが理想です。
しかし、家族と同居している私はそんな好き勝手はできず、また、裸で家を歩き回るわけにもいきません。けれども、その日着ていたものを全て脱ぎ、すぐに洗濯し、お風呂で汚れ・穢れを落とさないと、その汚れ・穢れが家のいろいろなものにどんどん伝染していくイメージが膨らみ、家にまっすぐ帰ることもできなくなりました。当時の私は、時間をずらし、家族が寝た頃に家に帰り、洗濯機の前で服を脱ぎ、洗濯。もちろん洗濯物や自分が触れたであろう箇所は、除菌ウエットティッシュで拭きまくります。そして、やっとお風呂に入るのです。

今考えても、何が決定的な引き金となったのか、わかりません。
ただ、いきなりこの病気になったわけではなく、思えば子どもの頃から症状はありました。
基本、よく手を洗う子どもでした。
神社でお参りをするとき、そこを離れる瞬間イヤなイメージが浮かぶと、それが神様に伝わってしまうのが怖くて、良いイメージがするまでその場を離れることができませんでした。
それでも自分は病気だと思うこともなく、普通に日常生活を送ることができていました。
しかし、10年ほど前、いきなり症状が悪化したのです。

こうやって通常の、今までどおりの生活を送ることが困難となった私は、もう自分がどうなってしまったのかわけがわからず、その日をこなすのに精一杯でした。本当に自分が呪われているのではと思うような感覚でした。そうとしか説明がつかなかったのです。

そんな生活がしばらく続いたとき、私はやっと「強迫性障害」という言葉に出会います。ネットでいろいろ調べているとき、見つけました。
調べれば調べるほど、自分がその症状にあてはまることがわかりました。
私は呪われているのではなく、病気だったのです。

幾分気持ちは楽になったものの、これで症状が改善するわけではありません。
私はあいかわらず強迫観念にとらわれ、強迫行為を繰り返しました。

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