日本を代表するおとぎ話といえば、桃太郎、浦島太郎、金太郎、、、
某携帯電話会社のCMでも大活躍中ですよね。
そこで、、、
みなさん、桃太郎は何故「桃太郎」なのか、考えたことありますか?
実はこの桃太郎、「柿太郎」や「梨太郎」ではいけないのです。
彼らは鬼を退治することはできません。
鬼を退治するためには、「桃太郎」でなければいけないのです。
今日は、そんな「桃」と「桃太郎」の関係について、考えてみたいと思います。
「モモ」は中国原産の植物で、春(3月下旬~4月上旬)に花を咲かせるため、「桃の花」は春の季語となっています。
江戸時代、幕府が3月3日を「桃の節句」と定めました。3月上旬は、桃の花が咲く季節には少し早い気もしますが、旧暦の3月3日は、現在の3月下旬にあたるようです。
そして、7月~8月頃に実を実らせるため、「桃の実」は秋の季語です。
この頃の桃は、とてもジューシーでおいしいですよね。
この桃、中国では、仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果実の意)と呼ばれ、邪気を払う力があるとされていました。
邪気を払う儀式として、桃で作られた弓矢が用いられ、また、桃の枝を畑に挿すことは虫除けのおまじないでした。
不老不死の力があるともされており、桃の林の奥にある桃源郷には仙人が住んでいる、ともされていまいた。
古代日本は、大陸の影響を大きく受けながら発展していきます。
奈良県の纒向遺跡(まきむくいせき)では、2千個を超える桃の種が出土しており、祭祀に使われたものと考えられています。
また、平安時代に入ると、節分の起源とされる追儺(ついな)の儀式が行われますが、これでは鬼を追うため桃弓や桃杖が使われ、さらにお正月には、桃の木片で卯槌(うづち)というお守りが作られました。
この邪気を払う桃、日本では神様っていうこと、ご存知ですか?
「古事記」「日本書紀」の記述では、イザナギ命が、亡き妻イザナミ命を連れ戻すため、死者の国である黄泉の国へと赴きます。しかし、絶対に見てはいけないと言われていた亡き妻、イザナミ命の姿を見てしまいます。亡者の姿と化したイザナミ命が恐ろしくなり、イザナギ命は逃走し、8柱の雷神(雷公)に追われます。そして、イザナギ命が、途中にあった桃の木から桃の実をとり投げつけると、8柱の雷神(雷公)は撤退しました。
「古事記」では、このことから、桃はイザナギ命から「オオカムヅミ命」(意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)――「大いなる神のミ(霊威)」という意味)の神名を授けられ、「お前が私を助けたように、葦原の中国(地上世界)のあらゆる生ある人々が、苦しみに落ち、悲しみ悩む時に助けてやってくれ。」と命じられます。
「日本書紀」にはこの命名の記述はありませんが、これが、桃を用いて鬼を避ける由縁であると記されています。
ここで、「桃太郎」のお話を思い出してみましょう。
ちなみに「桃太郎」のお話は日本各地に残っており、それぞれ内容も異なりますが、ここでは一般的に語られるお話について考えたいと思います。
現在では、桃太郎は桃から生まれますが、明治時代初期までは、桃の実を食べて若返ったおじいさん、おばあさんの間に桃太郎が生まれる話が主流でした。
中国では桃は不老不死の力を持ちます。おじいさん、おばあさんが若返ったのも、この思想を反映したものでしょうか。
そして、当時人々を悩ませていた鬼を退治するため、犬、猿、雉と共に鬼ヶ島に渡り、鬼を退治します。
つまり、桃の力で邪気を払ったのです。
現在は家来のイメージが強い、犬、猿、雉ですが、それは明治時代以降につくられたイメージで、江戸時代までは、ただ共に戦う仲間でした。
では、何故お供は、犬、猿、雉なのでしょうか。
これには諸説ありますが、代表的なものを二つご紹介させていただきます。
一つは、桃太郎のモデルと考えられている吉備津彦命(きびつひこのみこと)の家臣に、犬養健命(いぬかいのたけるのみこと)、楽楽森彦命(ささもりひこのみこと)、留玉臣命(とめたまのおみのみこと)の三名がおり、それぞれが犬飼部・猿飼部・鳥飼部という氏族であったから、それが、犬、猿、雉となったとする説です。
ちなみに、鳥が雉である理由は、当時雉という鳥がポピュラーで、天皇へも献上されていたから、とも言われています。
主祭神は大吉備津彦大神。社殿は入母屋造の屋根を前後に2つ並べた屋根形式である「吉備津造り(きびつづくり)(比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり))」で、さらに本殿の大きさは、出雲大社本殿、八坂神社本殿に匹敵する。吉備津彦大神が討ち取った温羅(うら)に由来する「鳴釜神事」は大変歴史が古く、少なくとも室町時代末期には都でも有名であった。
もう一つは、「陰陽五行説(おんみょうごぎょうせつ)」の考え方です。
「陰陽五行説」では北東にある「鬼門(きもん)」の方向に、「丑(うし)」「寅(とら)」が配置されています。
この鬼門である「丑寅(うしとら)=北東」の方角は、邪気など「鬼」が出入りする方角と考えられています。
そして、その対極、南西の方向に配置されているのが「未(ひつじ)」「申(さる)」です。これを「裏鬼門(うらきもん)」と呼び、鬼の出入りを封じる方角とされています。
さらに、鬼門に対抗できる裏鬼門に向けて、「申(さる)」から時計回りに南西から北西へかけて「酉(とり)」「戌(いぬ)」が配置されており、これが、鬼退治の仲間の由来とする考え方もあります。
ちなみに、鬼の姿が、二本の角が生え、寅柄の着物を着用しているのは、この
「丑、寅」に関係しているから、ともされています。
今も愛される桃太郎の物語ですが、室町時代に編纂された「御伽草子」にはその記述は見られません。
いつ頃できた話かはわかっていませんが、室町時代後期から江戸時代にかけて広がった、比較的新しい話ではないか、とされています。
昔から伝えられるおとぎ話や昔話というものは、当時の思想、歴史的背景等の影響を受け、様々に姿を変えながら現代へと伝わっています。
今も様々な形で親しまれる桃太郎の物語。
こうして少し視点を変え、「なぜ?」「どうして?」の視点でおとぎ話を見てみると、その物語には様々な意味や思いが込められていることがわかり、とてもおもしろいですよ。