
本日放送のNHK大河ドラマ「べらぼう」36~鸚鵡のけりは鴨~、最後は胸が締め付けられるようでした。人物を描くのがほんと、上手ですね。
潔癖で真面目過ぎるがゆえ、いきすぎた言論統制を行う松平定信。
自由な統治下で、豊かな文化が育った田沼意次の頃。
これは歴史だから、どちらが正しいとかまちがっているかなんてことは言えない。
また、「べらぼう」はドラマだから、本当の定信や意次のことは知らない。
恋川春町の死を聞いたあと、魂が抜けたようにふらふらと歩く定信。
そして、一人になったところで懐からこぼれる春町の本、定信の慟哭。
これ、思うようにならない定信の心の叫びだったのかもしれないけれど、とってもゆるくドラマを見ている私としては、自身が「見舞いに行く」と言ったことで、好きだった作家を死なせてしまったことへの心の叫びでもあったのではないかと思っています。
黄表紙好きといわれた定信、本当は、ただ好きな作家に会いたかっただけだったのに、それが理由で死なせてしまった。
定信も人間、庶民を苦しめようと倹約を行っているのではなく、自分の治世が世の中を良い方向に向かわせていると信じているだけ、だから黄表紙が好きという人間味もある。
まあ、これはドラマなんですけど。
ドラマは、見る人によって受け取り方は異なります。
何を感じるかは自由。
本当の定信がどんな人だったかは知らない。
ただ、今日の大河ドラマ「鸚鵡のけりは鴨」は、なんとも重く心に残る内容でした。