今は様々な精神疾患がテレビ等で紹介され、以前に比べると理解も深まってきています。
その中で、「強迫性障害(OCD)」という言葉を聞き慣れない方も多いのではないでしょうか。
強迫性障害に悩まされる人は、周りと比べ自分が「おかしい」ことを知っており、それを隠す傾向にあります。それが、この病気があまり世間に認知されない要因の一つかもしれません。
強迫性障害は不安障害の一種で、以前は「強迫神経症」と呼ばれていました。
強迫観念と強迫行為の2つを伴うのが特長で、症状がどちらか一方のみの場合、強迫性障害とは診断されません。
自分の意に反して、不安あるいは不快な考えが浮かび、抑えようとしても抑えられない(強迫観念)、そして、そのような考えを打ち消そうとし、無意味な行為を繰り返す(強迫行為)。
自分でもそのような考えや行為は不合理だとわかっているが、やめようとすると不安が募り、やめられない。つまらない、ばかげている、そう頭ではわかっていても、不安に負けてしまい、やめられないのです。
例えば、本を読んでいるとき、何かに指が触れた気がする。紙を確認すると、何もついていない。
普通はここで「気のせい」と認識し、次の行為(本の続きを読む等)に移ります。
しかし、強迫性障害の症状の場合、何回も何回も自分が触れたであろう紙の部分を確認し、「紙には何もついていない」と認識しても、「何かイヤな物に触れてしまったのでは?」という不安ばかりが大きくなります。そして手を洗う。手を洗っていても、綺麗になった気がしない。ひどい場合、30分、1時間、あるいはそれ以上手を洗い続けます。
強迫性障害の症状は人様々で、上記の症状があてはまらない場合もあります。
これ以上の詳しい病気の説明は、厚生労働省や各病院等多くのサイトで詳しく紹介されているので、ここでは省略させていただきますが、一見「それくらい誰にでもあるよ」感じられる症状も多いです。この、「それくらい誰にでもあるよ」という感覚が、この病気への理解が得られにくい一つの要因かもしれません。
例えば、家の鍵をかけたか不安になり確認をする。手を洗っても綺麗になった気がしない。物が左右対称に綺麗に秩序正しく置かれていないと気になる。
普通は、鍵がかかっていることを確認すると安心して次の行動に移ります。手についた汚れが落ちると、次の行動に移ります。そもそも汚れていない場合、洗わないことも多いです。左右対称に秩序正しく置かれていない物を見て気になったとしても、それを綺麗に並べ直すこともあれば、放っておくこともあるでしょう。
しかし、強迫性障害の症状の場合、一度鍵がかかっていることを確認しても、何度も何度も確認してしまう。頭では「鍵がかかっているのをついさっき確認した」とわかっていても、不安は消えず、その不安を消すために確認を繰り返す。手を洗っていても、汚れが落ちた気がしないので、いつまでも洗う。実際は汚れていないのに、「何かイヤなものに触れた気がする」という強迫観念にとらわれ、手を洗わずにはいられない。物が左右対称でないと気になり、それを直さないと不安ばかり大きくなる。
本人は、その強迫行為をやめたいのです。
何の意味も無い不合理な妄想にとらわれているとわかっていても、強迫観念から来る不安がどうしても拭えず、強迫行為をせずにはいられない、繰り返してしまうのです。
冒頭でも述べたように、以前この病気は「強迫神経症」と呼ばれていました。
ほんと、この病気は神経がすり減り、ぼろぼろになっていきます。
そういう意味で、私は「強迫性障害」という病名より、「強迫神経症」という病名の方がしっくりくる気がします。